[単独]YANG HYUN SUK、「YGの差別性は洗練された美にある…政治には関心がなく恩恵もなかった」①

2017-01-20 11:09 am
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成長を重ねた20年の後、第2幕始まり…「コンテンツ事業はお金だけでは成功できない」

[서울연합뉴스=이은정 기자] 韓流をリードする企業であるYGエンターテインメントのYANG HYUN SUK代表(48)兼プロデューサーはあまり趣味がない。ビジネスに欠かせないといわれるゴルフもしない。運動も軽く歩くのが全部で、全盛期にダンスで培った体力で健康を維持している。父母の宗教が仏教で曹渓寺付近で仏教用品店を営んでいるが、本人は宗教がない。政治にはちっとも関心がない。

「自分が好きなことをやるだけでも忙しいから、他の分野は難しく関心もありません」

今月17日、ソウル市麻浦区蛤井洞にあるYG社屋で会ったYANG代表は「所属俳優のGANG DONG WONさんと時々お酒を飲むが、通じ合う部分がある」とし「好きなことをやるのが大事だが、もっと重要なのはやりたくないことをやらないことだ」と笑った。

YANG代表が大好きなのは黒人音楽で、幼い頃からずっと好きなジャンルだった。

Seotaiji and Boys 時代の1~4集アルバムの中で最も幸せな瞬間も『COME BACK HOME』のときだった。『何如歌』と『渤海を夢見て』はロックジャンルだったが、『COME BACK HOME』は遅いテンポのヒップホップだった。テクニックより感じたまま踊るのがすきだった彼にぴったりの曲だった。

Seotaiji and Boys が解散した年である1996年、ヒョン企画でスタートし1997年にYGを立ち上げた後、一つの分野に集中してきた。JINUSEAN、1TYM、BIGBANG、2NE1などを育て、ヒップホップ基盤の黒人音楽のレーベルとしてアイデンティティーを深めた。

2011年、コスダックに上場した後、2014年から本格的にCHA SEUNG WON、LEE JONG SUK、KIM HEE AEなどを迎え入れ、ファッション、化粧品、フードなど、14の系列会社に668人の職員を持つ時価総額4千544億ウォン(クスダック65位)規模の企業として成長した。彼の事務室がある今の7階の社屋から見下ろすと、隣りの1千坪の敷地に新社屋の建築が行われているのが見える。

これまでの20年間、成長を重ねて規模を拡大してきたYGは、今年から新しい20年のためのプランの第一歩を踏み出す。

YANG代表は「面白く色々な内容が盛り込まれた厚い1冊を締めくくった」とし「第2部の始まりはこれからだ」と語った。彼にこれまでの20年に関する感想、今年の重点事業やビジョン、そしてYGについて気になることを集中的に聞いてみた。

次からは一問一答。

-20年間の成長を自ら評価してみれば。

▲設立初期、JINUSEANと1TYMが成功しても成長するスピードが遅かった。韓国で競争していくら成功しても収入基盤が弱かった。インターネットの発達により、PSYが海外に「呼び出し」され、BIGBANGの音楽が20カ国で1位にランクインする時代となった。サムスンやヒュンダイも国内の需要だけで営業したら、今の国際的な企業にはなれなかったかもしれない。このようなときであるこそ、事業をするという考えより、洗練された音楽を作るのが生き残れる道だと思った。お金持ちだからファッションセンスがいいわけではもないように、コンテンツ事業もお金が多いから成功するわけではない。頭と感覚でするものだ。YGの差別性は洗練された美にある。それだけは失いたくなかった。

–事務所を作ったことにプライドを持つと思うが。

▲国内の歌手が海外で人気を受けて収入を稼いでいるのも愛国する一つの方法だ。資源が貧しい国で音楽やドラマ、映画の人気はコンテンツ想像力のある人的資源のおかげだ。Seotaiji and Boys の当時、韓国では大人気だったが、市場が狭くて限界があった。日本に進出したがうまく行かなかった。その時は私たちが日本文化に憧れを持っていた時期だった。今逆になったことに誇りを感じる。韓国のコンテンツを好む理由は製作能力に優れており洗練されているからだ。プライドを感じる。

–今年からBIGBANGはメンバーらの入隊で完全体としての活動が難しくなり、2NE1は解散した。核心グループの空白に対して心配する声もあるが。

▲BIGBANGは年初からソロ活動をする予定であり、それぞれのパワーが大きい。今年から個別活動に出るが、G-DRAGONはソロアルバムへの情熱がすごく、V.Iにも3月までにソロアルバムを完成しようと話した。D-LITEは日本でドームツアーを行い、SOLもソロアルバムを出す。

–それでも、2NE1の解散はいきなりだった。

▲MINZYが他の事務所に移籍したとき、2NE1を守りたかった。解散を決めたのはBOMのメンタルヘルスが悪いと判断したためだ。「あのこと」(麻薬の持ち込み問題)があった以降、非難が多かった。BOMはそれによるストレスや罪悪感だけでなく、どうか2NE1を守りたい未練もあったはずだ。BOMにとって「2NE1」も大切だが、心身ともに健康になってほしい」とアドバイスした。これから先のことは誰も知らないから、S.E.Sのように再結成する日もあるかもしれない。S.E.Sほど遠くはないが、そんな日が来ると思う。

-所属芸能人のリスク管理で困難なことも多いではないか。

▲歌手の数が少なかったときは一緒に生活するから些細なことまで分かっていたが、数が多くなると問題が起こらざるを得ない。最大限予測して気を使い、重要なのは同じことを繰り返してはいけないことだ。複数の事件や問題があったため、中身を充実にして、アドバイスをたくさんしている。本当のオーナーはうまく進んでいるときは後ろで微笑み、危機が起きると一番前に出なければいけないと思っているが、それを実践している。芸能人を引っ張るのは私がやるべき一番目の仕事だ。

–昨年はYGを取り巻いて「パク・クネ政権から庇護を受けている」、「チェ・スンシル氏と関連し、恩恵を受けた」などの噂もあった。

▲エンターテインメント事業をして、一方に偏るのを注意して意図的に避けてきた。私は、イ・ミョンバク政権のとき大統領賞を受賞したが、帽子を脱ぐのが嫌で青瓦台に行かなかった。すると、私の事務室に来て賞を伝えてくれた。私が好きなことをやるだけでも忙しいのに、政治や権力など、他の分野には全く興味がない。(YGに入社したという噂のチェ・スンシル氏の姪)チャン・シホ氏もそれまで男性だと勘違いしたほどだ。また、PSYが『GANGNAM STYLE』で大ヒットしたのも、対外的な事件・事故もパク・クネ政権以前のことだ。YGのヤン・ミンソク代表が文化隆盛委員になったのも、PSYのグローバルな人気のおかげであり、私たちが何の力を発揮しようとしたのではない。むしろ、利用された上に、恩恵もなかった。事実ではない遺言庇護が広がり残念で仕方ない。

–3年前からBIGBANGに次ぐ次世代歌手が登場し、トップ俳優も迎え入れた。

▲今年、最も力を入れているのはWINNERとiKONだ。彼らをBIGBANGに代替するにはまだ物足りなさを感じる。しかし、BIGBANGもデビュー1年目にそれほどの反応は受けなかった。BIGBANGが10年間頑張って成功したように、WINNERとiKONもフォローしてサポートすれば、ちゃんと自分たちの領域を作っていくだろう。CHA SEUNG WON、GANG DONG WON、KIM HEE AE、LEE JONG SUK氏などは作品も自ら選択しており、あまり関与していない。俳優たちがYGのシステムや支援に感謝の気持ちを表すとき満足する。

–ファッション、化粧品、フードなどと、事業を多角化する理由は。

▲Kポップなどエンターテインメントと関連がある事業だ。韓国の文化コンテンツが世界各国へ進出しているのに、「なぜ、韓国を代表するファッションブランドはないのか」と考えた。ドラマ『チャングムの誓い』は紹介されても、韓国の素晴らしい食文化は中国、日本より十分紹介されていない。YGのコンテンツと連係させ、韓国代表のブランドを作りたい。なお、YGの未来価値を見据えて投資した株主に、事業を成功させて利益を還元するのも自分の新しい仕事となった。

–YGの歌手らは特に、海外での反応が凄いが、最近海外の状況がよくない。日本での韓流は長い低迷期であり、中国でも「限韓令」の心配が提起されたが、解決策は。

▲中国市場を狙ってコンテンツを作ったことがなく、特に進出しようと思ったこともない。国の問題で状況が悪いが、中国だけを目指してコンテンツを作ったのではないため、いい日があれば悪い日もあるというふうに思っている。中国でお金を稼ごうとするのはこれからもしない。日本については、Kポップの韓流ができる前から地道に準備してきたため、iKONへの反応もとてもいい。以前「韓流を防ぐというが、防がれるものなのか」という論評を見たことがある。収入が出ないだけで、違法コンテンツなど、どんな形でも消費されているので人気がないとは言い切れない。

-究極的に成し遂げたい夢は。

▲昔、日本文化や香港映画が好きだったが、今は幼い頃の思い出になった。私は、死ぬまで韓流の競争力をリードしていきたい。一時代の流行で終わってはいけない。そのため、他人より洗練されたコンテンツを作らなければならない。最も幸せなのは、私が作ったものをたくさんの人々が好んでくれるときだ。収入は人気に比例する。新しい仕事が好きなのも、胸がわくわくするからだ。死ぬまでワクワクしたい。(②編に続く)

2017. 1. 20.